ワンコと私とビートルズと

13歳で亡くなった愛犬(チワワ)の介護日記とビートルズ好きな主婦の日常…

カテゴリ:ポールマッカートニー > ポールマッカートニー来日の歴史

今年はお正月早々、ポールのチケット争奪戦に巻き込まれました。

 

 

ポールの年齢からいくと、今度でラストになるのかなあショボーン

 

 

ポールが初めて来日した時の事を思い出し、長い間何回も来てくれて、ファンを楽しませてくれたこと、感謝感謝です。ドキドキ

 

 

これまでのポール来日の歴史を振り返ってみたくなりました。

 

 

ウィングス時代の1975年、初の日本公演が決定しました。

 

が、ポールの薬物使用により、中止に。当時、ポスターを見て、来日!?とびっくりしたのですがいつのまにか話題が消えていたのを記憶しています。

 

 

★次は、その5年後の1980年です。昭和55年の1月でした。

 

 

私は、チケットを買っていました。当時は東京に住んでいて、自分で買いに行けました。

 

 

当時は、当然ネットや携帯、パソコンも無い時代。今と比べれば、原始的な販売方法でした。

 

 

間違えているかもしれませんが、曖昧な記憶をたどりながら書いてみたいと思います。

 

まず、朝のテレビ番組「ズームイン!朝」(司会は徳光さん)、を見ていないといけません。

 

画面下にテロップが流れました。

 

その内容は、「ポールのチケット販売については、○○ラジオの××コーナーの▽時◇分に、詳細を流します」といった事だったと思います。

 

その通りにラジオを聞きます。すると、今度は「○○日までに、青山の▽事務所で整理券を配布します」と言われます。

 

青山の指定された会社に行き、整理券をゲットしました。

 

その整理券をもって、チケット販売日に、新宿の高層ビルの入り口広場に行くのです。

 

 

販売開始時間の1時間前に到着しましたが、すでに長蛇の列でした。

 

新宿駅から凄い人の列です。2時間ほど並んで、やっと自分の番がきました。

 

外の広場で、何人かのスタッフが、長い机に向かって、手作業で販売します。

 

 

「この席が、空いております。どこにしますか?」と、座席表を見せられ、自分で席を選んでお金を払い、チケットを受け取ります。

 

 

寒かったのを記憶しています。でも、それだけ頑張ってゲットしたチケット、そこまでしないと買えないチケットだからこそ、手にした感激は大きかったです。

 

 

この時は、ファンクラブには未加入だったので、ファンクラブならもっと楽にとれていたのかもしれませんね。

 

 

当時切り抜いた新聞広告)

 

 

細かい事は忘れてしまい、記憶が間違えている部分もあるかもしれませんが、だいたいこんな感じで販売されていました。

 

しかし、到着した成田空港の税関で逮捕され、公演が泡と消えてしまった衝撃は大変なものでした。

 

 

 

 

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 (表と裏を並べてます)

 

当時はカラーコピーはできず、白黒です。オレンジの紙黒字のチケットでした。

 

当時書いたメモが写っていますね。

 

幻の公演となってしまいました。なにより残念だったのは、ウィングスとしての公演が日本ではこの件で消えてしまったことでした。

ウィングスとしての日本公演は幻と消え、ビートルズファンは、諦めに近い境地、しだいに興味を無くしてファンも減っていったであろう時期が続きます。

 

その頃は、”ビートルズは終わった、いつまでも古い音楽に執着していないで、新しい音楽を!”みたいな「ビートルズはもう古い」といわれそうな雰囲気が周囲にありました。

 

 

ポールは、フジテレビの「夜のヒットスタジオ」にも出演したこともありましたが、当時、今みたいに話題にもならず、今よりずっと若くてかっこいいのに、(今もかっこいいですが)

「ふけたなあ。もう年だし、ヒット曲だせないのでは」みたいに言う人が周りにいました。

 

 

おそらく、この時期、じっと我慢して、ビートルズのメンバーを応援し続けてきた人は、本物のファンと言えると思います。

 

 

今や、教科書でビートルズを学び、ビートルズは歴史上の音楽グループとなり、若い人のファンが増え、誰もが認める存在となりました。

 

”歩く世界遺産”のポールの価値を誰もが今や認めています。

 

以前、「ポールはもう終わりだ」と言っていた人も。

 

山を越え谷を越え、ここまで信じてきてよかったと、長年のファンとしては報われた気持ちがします。が、寂しい気持ちもあります。?自分だけのものではなくなったような、贅沢なファン独特の寂しさですね。

 

 

さて、ウィングス時代に、成田空港で逮捕されてから、なんと10年後、やっとポールはソロとして初の日本公演を果たします。3cef74a1.jpg

 

 

 

 

 

1989~90年、ポールは世界13か国、計101公演という大規模ワールドツアーに出ます。

 

日本では、90年3月3日から13日まで東京ドームで全6公演が行われました。

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待ちに待った日本のファンは歓喜し、NHKでのインタビュー、ニュースなどでも取り上げられ、大騒ぎ。新しいファンも増えたと思います。

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まあ、ライヴのスタートがかっこいいこと!ポールのシャウトするノリノリの曲(フュギュア オブ エイト)で始まり、若々しく美しいその姿にうっとりしたものです。

 

 

うっとりしながら レット イット ビー を聴いていた時、ふと「こんな上手に歌うレットイットビーは聴いたことがない!」 なんて思ったんです。当たり前です。本人なのですから。

 

そう気が付いて、改めて、ポールの生の声を聴いているという実感がわいたのでした。

  

 

この時、リンダも一緒にステージにたっていました。「ウチノカミサン!」と紹介していました。

 

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東京ドームの前で。0a35efd7.jpg

 

 

 

  

 

 

 

セットリスト  e581b7fd.jpg

 

 

 

 

世間には忘れられていますが、私の行った日、3月3日は、本来2日目でしたが、初日がポールの体調不良でキャンセルになり、この日が結果として初日となりました。

 

 

このツアーは、映画にもなりました。タイトルは「Get back」

しばらくコンサートツアーをしていなかったポールが、再びファンの前に帰ってきたよ!というメッセージを込めた映画だったと思います。

 

                         

傷だらけですが、映画館で販売されたテレフォンカード。 

 

 

 

 

そして、東京の真砂小学校で、夫婦で植樹。

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この木は、「ポールの木」と名付けられました。7e06c981.jpg
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ポールがぐっと身近に感じた来日でした。

 

 

この公演をきっかけに、自分に精神的刺激をもらい、人生の転機としたファンも多かったと思います。ずっと諦めずに待っていた夢がかなえられた訳ですから、皆の大きな自信につながったと思います。

 

世の中は、バブル期でした。

 

 


 さて、やっと日本に来てくれたポールでしたが、なんと嬉しいことに、再び3年後の1993年に戻ってきてくれました!51歳です。

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前回は東京ドームのみでしたが、今度は福岡にも来てくれました。

 

 

もちろん、行きましたよ。この時は福岡に。

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再びの興奮を味わいました。この頃のライブは、「明日への誓い」を歌ってくれていたのですが、最近はセットリストにないので、残念です。

 

 

前回は、「フラワーズ インザ ダート」、この回は「オフ ザ グラウンド」をだした後で、選曲にも新しいアルバムを意識した内容でしたが、ビートルズあり、ウィングスありで、素晴らしいライヴだったことは言うまでもありません。 

 

残念なのは、リンダに会えたのは、これが最後となってしまったこと。

 

 

ちょっと、その前に…このポール再来の前の1991年、そうポールが日本公演を果たした翌年、ジョージ ハリスンが、エリッククラプトンと共に来日したのです。

 

次々と夢がかなった私たちファンは、この頃は人生で一番幸せな時だったかもしれません。

 

 

ジョージの日本公演については、次回書いてみたいと思います。 


最近寒くなってきましたね。北国の方、雪との闘い、本当に大変ですよね。

 

さて、途中ジョージの話にそれてしまいましたが、ポールの話題に戻します。

 

ポールは2002年、ソロとして3度目の来日公演を行いました。

 

ドライヴィング ジャパン ツアー”です。

 

 

この公演の日までには、98年に最愛のリンダの死、01年にジョージの死という悲しく辛い出来事がありました。

 

2002年には、ヘザーミルズと結婚し、幸せを掴んだポールは再びツアーに出たのです。

(後に、ヘザーとは泥沼離婚(T▽T;))

 

 

11月東京と大阪で全5公演でした。大阪公演はこの時が初めてで、私は大阪に行きました。

 

 (当時大阪ドーム)

 

 

この時、ポール60歳。まだまだ若々しく、元気でした。

 

 

 (パンフレット)

 

 

この時から、ジョンに加えてジョージの追悼コーナーが加わりました。この時は、ジョージにもらったというウクレレのみで、サムシングを歌っていました。

 

 

 

この時感じたことは、ポールが、カッコよさより、面白いキャラクターになっていたこと。

おそらく、衣装や髪形のせいだったかも。それと、

 

マイド!モーカリマッカ?」なんて言っちゃうからですよ~(≧∇≦)

 

何といっても、この時からバンドのメンバーが現在のメンバーにかわったのが最高です音譜

 

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ドラムのエイブ、ギターのブライアンとラスティが、若々しくカッコよく、バンドが一気に若返っていましたし、パフォーマンスにうっとりする位でした。

 

 

 

実は二人共、ベテランで、見た目は20代に見えましたが、当時40代だったとは驚きです。 

 

 

         (ラスティ)                                          (ブライアン)

 

 

実はこの頃、自分の体調が悪く、行こうかどうか悩んだのですが、勇気をだして行きました。

 

行ってよかったです。

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